ヤンゴンプレスWEB版8月号

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■サッカーは国民的スポーツ 女子の実力は男子を上回る

ミャンマーで一番人気のスポーツといえばやはりサッカーだ。スポーツチャンネルを回せば、英国のプレミアリーグをはじめ、伊、独、西などのプロリーグの中継がほぼ毎日のように流れており、″マンU″などの強豪チームのファンも少なくない。

 

むろんこの国にもMリーグというプロがあり、国営テレビも放映しているが、F I F Aランク的に見ればまだまだレベルは低いと言わざるをえない。しかし、男子はヤンゴンほか各州や管区ごとに地元チームがあり、こちらの大手企業がスポンサーとなって支援。サッカー熱も高く、昨年のアセアン競技大会でインドネシアに敗退すると暴動になりかけたように、熱狂的なサポーターも多い。

 

その点、日本と同様に女子の実力はかなり高い。歴史もあり、アセアンの中ではタイ、ベトナムと並んで3強ともいわれ、常に優勝争いをするレベルだ。ちなみに今から10年前の2 0 0 4年に第1回目の「東南アジア女子サッカー選手権」(AFF)がベトナムで開催されたが、優勝したのはミャンマーであった。

 

 この選手権ではインドネシア戦でフーOという圧倒的な勝利をあげたが、開始23分、決定的な追加点を挙げたのが、今回のゲストにお招きしたタン・タン・トウエさんであった。当時17歳で代表入りした直後の試合たった。

 

彼女は今や国民の間では「ブーティー」 (ひようたん)の愛称で親しまれている女子代表のエース格といっていい存在だ。「ユースの代表に選ばれてヤンゴンに来ましたが、新人で、緊張した試合の中で、よくゴールを決められたと思っていま。」と語るが、ブーティーの名が全国区になっだのは、昨年のアセアンシーゲーム準決勝のタイ戦であった。

 

 この試合は激闘となり、結着がつかすにPKにもつれ込んだが、そのPK戦でも10回目のキックまで息を呑むシーンが続き、6千万国民は固唾をのんだ。結果は残念ながら惜しくも宿敵の前に敗れたが、格上相手にここまで奮闘した代表たちの執念に国民は感動した。しかしこの試合には伏線があり、試合半ばでミャンマー自陣から60mの目の覚めるような超ロングシュートを決めた選手がいた。

 

これがゴールと判定されていればミャンマーが勝利を掌中にし、大会優勝という可能性まであった。この見事なシュートを放ったのが、誰であろうブーティーたった。だが、不可解なことに審判はオフサイドの旗を上げた。この映像は現在でも「Hero of myanmar Than Than Htwe」としてYou Tubeにアップされているが、誰がどう見ても文句のつけようがない芸術的な一撃だった。

 

ホームの開催とはいえ、最終的に3位決定戦でマレーシアを6-Oで破ったことで、テンセイン大統領を始め、ミャンマー国民が代表チームの健闘ぶりを激賞した。そして、国内の名だたる企業が支援を表明。合計2イ意6千万Ks(約2700万円)ものご褒美が女子代表チームに贈られた。

 

この時は、スケールはともかく、″なでしこ″がW杯で予想だにしなかった優勝という快挙を成し遂げた、あの当時の日本国民の熱気を彷彿させた。

■男子顔負けのサッカー少女 17歳でユース代表に抜擢

タン・タンさんこどブーティー″は、ミャンマー西部の米どころイラワディ州の出身。ご本人は謙遜するが、むろん天才少女だったに違いない。

 

  「12歳の頃から″サッカー″という言葉を聞くと、何か居ても立ってもいられない気持ちになり、ウキウキするようになりましたね。このスポーツに目覚めたというか、自分でも良く分かりませんが、気がついたら毎日男の子に混じってボールを蹴っていました」

 

 中学に進むと、その才能に益々磨きがかかった。

同年代の女子では相手にならず、「男子チームに入って試合に出るようになりました」。というから、男子の胸を借りて稽古に励む日本女子柔道選手のような状況だったようだ。

 

 そうなると「イラワディに″金の卵″あり」という情報が国内サッカー関係者に伝わるのは時間の問題だったが、中学卒業と同時にイラワディ管区交通大臣省に就職した。いわば交通警察機能をもつ役所だが、彼女はここで事務職についた。そし

て2年後の17歳のときに、ユース代表にお呼びがかかり、ヤンゴンにやってきた。ここから彼女のサッカー人生が花開く。

 

この当時の代表チームにはブージーの憧れで、目標にするサン・サン・モーというエースがいた。彼女より5歳上で、¨なでしこ″でいえば「澤穂希」的な選手たった。

■日本人監督の指導でレベルアップ 実力と成長ぶりに監督も太鼓判

練習が終わっても居残ってトレーニング

冒頭で記した「AFF」でのゴールを例に出す までもなく、代表に選ばれてからの72ティーは目を見張る成長を遂げていった。

 

中でも、2011年8月から日本サッカー協会の「アジア貢献事業」の公募でミャンマー女子代表チームに派遣された熊田喜則監督(5 3)が指揮をとるようになってから、彼女や代表チームのレベルアップは顕著だった。就任早々の同年10月にラオスで開催された「AFF2011」大会でいきなり準優勝を遂げ、翌年には熊田さんが「ASEAN女子最優秀監督」の栄誉に輝き、昨年は大統領も賞賛した「ASEAN SeaGames2013」銅メダルという実積を作り上げた。

 

その熊田監督も「一番成長した選手はDefenseMFのThan Than Ht:weでしょう。練習後、一人でグラウンドを走り、体のケアにも人一悋気を使う選手です。今ではチームに欠かすことのできないプレヤーですし、キャプテンを任せてもいいくらいの存在になりました」と自身のブログでその頼もしい成長ぶりを吐露している。

 

 「もちろんグラウンドでは昨い方ですが、全身全霊で私たちを指導してくれますのでそれに応えるように努力しています。とくに″トライアングル″というフォーメーションなど、パス、フォーメションの大切さなど、本当に勉強になります。だから私たちも基本を全力でしっかりと学んでいます。尊敬できる監督です」。

 

女も監督の熱意に応えるかのように、メキメキと成長していった。初めて代表入りした時には雲の上のような存在だったエースのサン・サン・モー選手を押しのけて、今やミャンマー女子代表の″顔″とも言うべき選手になったといっても過言ではないだろう。

熊田監督(写真左)に出会ってメキメキ成長した

熊田監督(左)の指導は代表チームをレベルアップした

■“なでしこ″たちと強化合宿を  引退後の夢は″女子代表監督’

昨年代表チームは、「ASEAN Sea Games2013」を前に、熊田監督や日本サッカー協会の計らいで、大阪の「J-GeenSakai」で強化合宿を張った。天然芝5面、人工芝9面という申し分ない環境で、熊田監督日く「世界一の猛練習」に励んだが、練習試合で浦和レッズにO-5、岡山湯郷ベルにO-6と大敗し、力の差をみせつけられたが、それでも収穫はあった。

 

 「″サワ″さんは怪我でいませんでしたが、″ミヤマ″さんたち日本の代表の方々と一緒に練習したり試合ができて嬉し力うたです。グラウンドや練習の環境も素晴らしいし、合理的で厳しいトレーニングも非常に参考になりました」と目を輝かせた。

 

 「試合で色々な国へ行かせてもらいましたが、日本は特別な印象を持ちました。街はきれいで、日本の人たちは皆親切で礼儀正しい。そして何よりもルールをきちんと守る姿力91く心に焼きつきました」。

 

 この日本合宿が、この年の暮れに開催されたASEANSea Gameでの活躍に繋がったかどうかはわからないが、少なくとも女子世界一のメンバーと練習し、胸を借りた経験はいい刺激になったことは間違いない。

 

 この取材の日の早朝、男子ブラジルW杯で優勝候補のブラジルがドイツに1-フという歴史的な大敗をした。

 

「ポルトガルの″C.ロナウド″のファンだったのですが、ひそかにブラジルを応援していました。でも、あんな悲しい結果に、、、、。どんなに強いチ¬ムでも油断したり、ちょっとしたことでこうなるんだな、ということを思い知らされたような気がします」。

 

 ブーティーは今年28歳になった。同じMFで29歳の宮間あやとはほぼ同世代だが、澤の後継者的存在の宮間はまだ現役を張っている。ブーティーも練習を 見た限り彼女の身体的能力はまだまだ若いと感じた。これからのミャンマー女子サッカー界を牽引していくに十分な技量とセンスの持ち主と言っていい。

 

  「いつまで現役を続けられるかわかりませんが、サッカーが大好きなので限界までやります。そして、もし選手を辞めたら?(ひと呼吸置いて)、″コーチ″(監督)になりたいです。と無邪気に笑いながら夢を語った。

 

 インタビューの最後に「メンバーのほとんどがショートカットなのに、なぜブーティーはロングヘアーなのか」という質問をしたら

 

 「普段は女性らしさを保ちたいから」とはにかんだ。

久しぶりに爽やかで、前向きな若いミャンマー女性に出会えたような気がした。当方はすっかりファンになってしまった。 Than Than Ht:weさんの動向には注視していきたい。

女子代表で一番の成長株だ

寮住まいの彼女はまだ交通局の職員だ

休日には音楽を聴いたりテレビを見て過ごすという

Than Than Htwe

Buu Thii (ブーティー、ひようたん)

28歳

エヤワディー州生まれ

仏教徙、カレン族 6人兄妹の5番目、

イラワディ管区 交通大臣省

Senior Officer

 

海外試合経験  日本、ラオス、タイ、フィリピン、

        マレーシア、オーストラリア、インド、

        ベトナム、中国など

社会活動    エイズ撲滅団体の支援サポートメンバー

        国勢調査調査議員

■栗原富雄 略歴

1949年 東京生まれ。

 

週刊誌、月刊誌の取材記者を経て

月刊「Seven Seas」編集長、

月刊「Vacation」編集長

月刊「MOKU」編集局長を歴任後

フリーランスジャーナリストに。

元日本旅行作家協会会員

VIP取材 ゴルバチョフ元ソ連大統領、

ダライラマ14世、Dロックフェラー

       Aダンヒル、他多数

 

著書    『アンチエイジング革命』他多数。

 

活動    NPOライフシェアリング協会理事

一般社団法人日本ミャンマー文化経済交流協会 専務理事

一般社団法人ニュービジネス協議会事務局長

Yangon Press編集長