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協会とアウンサンスーチーさん

スーチーさんと久々に再会!父アウン・サン将軍の追悼式典でヤンゴンに帰還

毎年7月19日は建国の父ボーチョウ・アウン・サン将軍の追悼日にあたるため、ミャンマーは祭日となります。


思い起こせば24年前の1988年、アウン・サン・スーチーさんは母の危篤のしらせを受けて英国から帰国し、代理でこの7月19日の追悼式典に出席してから、その帰国が公になり、民主化運動の渦中に巻き込まれるようになっていきました。

 

そして今日のミャンマー民主化の幕開けとなり、いわばこの日はスーチーさんにとっても感慨深い日であることには間違いありません


そのアウン・サン・スーチーさんが、国会のあるネピドーから久々にヤンゴンに戻ってきました。午前中に公式の式典を追え、午後からはNLD本部で幹部、党員や支持者たちとの追悼集会が開かれました。とはいっても、本部前は午前中から数千人の民衆が詰めかけ、交通は大渋滞で、スーチーさんが到着すると嵐のような歓声と拍手が湧き上がりました。いまさらながら彼女の人気の凄まじさを感じました。


私も、約2か月ぶりの再会でしたが、英仏や各国の大使クラスも参列したため、会釈する程度で話すことはままなりませんでした。


スーチーさんは、表情にはやや疲労の色がでていましたが、スピーチは相変わらず力強く、その健在ぶりを示してくれました。

7月19日 ヤンゴン事務局 栗原富雄

■ごあいさつ

専務理事・事務局長 栗原富雄 

 

私が初めてミャンマーに渡航したのは、2011年6月17日、アウンサン・スーチーさんの生誕祝賀式典の2日前だった。

 

当時の状況は、耳にイヤホンをつけた公安警察がNLD本部はむろん街なかのあちこちに配置されていたが、私はあるルートを通じて30分ではあるが、誕生日当日にアウンサン・スーチーさんにインタビューすることができた。

その模様は拙著「絆こそ、希望の道しるべ」(ケーズパブリシング刊)として2011年10月に刊行したが、当時彼女とて今日の劇的な変化は想像だにしなかったはずである。

 

それから9,10,11,12月とほぼ毎月ミャンマーを訪れ、スーチーさんをはじめNLD幹部、さらにヤンゴンの実業家たちと親交を深めていくうちに、この国が本気で変わろうとしている、いや、変わらなければダメだ、という決意のようなものをひしひしと感じるようになった。

 

実際、街の雰囲気も訪れる度に変わっていった。

街から公安警察の姿が消え、ちょっと前までは仏頂面をしていたヤンゴン空港のイミグレーションの人間たちでさえ、日本語で挨拶すると満面に微笑を称えるようになった。

露店ではスーチーさんのポスターやカレンダーが堂々と売られ、もっと驚いたのはミャンマー国営テレビや新聞に大統領と会談するスーチーさんの様子が露出したことである。

かっては指で口にチャツクをしたスーチーさんの話題さえも、今ではタブー視されることなく、人前でも話せるようになった。

 

「この国はよくなりますよ」ヤンゴンの大晦日、新年を迎えようとしていた市民の口からは、あちらこちからそんな言葉が聞こえてきた。

物価水準、経済的格差は日本の10分の一であり、昭和30年代の日本を彷彿させる現象があちこちに見られるが、救いとなるのは人々の明るさと懸命に生きようとしている姿である。

特に、女性が輝いているように見える。男女平等の意識が世界で最も高いと言われるミャンマーだけあって、スーチーさんのような芯の強い女性に出会うことは珍しくない。

アウンサンスーチーさん写真館

アウンサンスーチーさん著書

「絆こそ、希望の道しるべ」

アウンサンスーチー 著

 

ケーズパブリシング  2011年10月 刊行

 

構成 : 専務理事・事務局長 栗原富雄