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協会設立の背景

ミャンマーは2011年のテインセイン大統領の就任から新しい時代がスタートしました。 

 

しかし、ミャンマーに関するニュースが連日のように報道され、急激な民主化政策と経済開放路線を歩みだしたミャンマーに対する世界の目は、2011年12月に当時の米国クリントン国務長官がこの国を訪問し、アウンサン・スーチーさんと会談をするまで、多少なりとも懐疑的でした。 

 

その後、2012年4月の補選でスーチー氏の国民民主連盟(NLD)の候補者43人全員が当選し、スーチーさんが24年ぶりに海外へ出国するなど、ミャンマー情勢はまるでドラマを見ているように日々刻々変化し、軍事政権下では考えられなかったことが次々と起きました。こうした動きに合わせるかのように、世界、特にそれまで慎重だった西側諸国がこの国に支援や様々なアプローチを始め、ミャンマーの民主化、経済開放が始ま理ました。

 

そして、2015年の総選挙ではスーチー氏率いるNLDが過半数を勝ち取り、いわゆるスーチー政権が誕生しました。 その後、ロヒンギャ問題などの困難に直面していますが、ミャンマーの民主化、経済開放は今後ますます拡大していくと思われます。

 

日本も官民挙げてミャンマーを応援しています。政府レベルでは債務の免除とともに多大なODAなどの援助をきめ、ミャンマーの発展に大きく寄与しています。

民間レベルでは経済特区における工業団地の建設をはじめ、多くの企業が進出を進めています。なお、ミャンマーとの日本の関係で特筆すべき事は、民間人のミャンマーへの貢献でしょう。

 

ミャンマーは大の親日国家ですが、日本人もミャンマーに対する感情は少し他の国に対するものとは違うようです。

 

日本の民間人はミャンマー国内全土で、様々なそして多くの援助活動を展開しています。これは、太平洋戦争の戦争経験の影響が大だと思いますが、ミャンマー人は日本が独立を助けてくれたと考えていますし、その後(戦後)の経済成長、素晴らしい技術とそれに伴う製品を作る日本人を尊敬してくれています。

 

一方日本人はあの戦争時に、本当に苦しい戦火の下で、日本人を救ってくれた多くのケースを経験し、ミャンマー人に対し戦時下で犯した様々な迷惑行為に懺悔するとともに、大きな感謝を感じています。

 

どうもその双方の感情が今の日本とミャンマーの間にはあり、他の国々とは違う特別な両国民の感情を生んでいるのではないかと思います。

 

我々「一般社団法人日本ミャンマー文化経済交流協会」は2012年発足し、政府外務省の援助を受け、ミャンマーへの消防車、救急車、消防ホースなどの寄贈を行っています。また多くの日本企業、とくに中小企業のミャンマー進出のための調査、視察、諸手続の援助も行ってきました。 

 

ミャンマー人は我々日本人から見ても「人が良い」(いい意味でも、チョト心配な意味でも)と思わせる国民です。

 

当協会としては、この特別な人たち、それも日本に来たい人たちと「人の好い」ミャンマー人を雇いたい人手不足の日本企業を結び付けていきたいと考え、活動を開始しています。